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【江戸幕府終焉を見守った城】二条城の魅力をご紹介!

二条城とは、関ヶ原の戦いや大坂の陣で勝利した徳川家康が、中京区二条城町に建てた城です。

慶応2年(1866)では、徳川家最後の将軍である徳川慶喜が、慶応3年(1867)10月に、二条城で大政奉還を公表しました。そして現在では国宝として、重要な文化財として有名な城となっています。

今回は、大政奉還という日本史的に大きな転換点が行われた舞台である二条城の紹介を行いたいと思います。

二条城の歴史

▶ 建設開始から完成
二条城は徳川家康によって慶長6年(1601)に造られ始め、慶長8年(1603)に征夷大将軍の拝賀の儀が行われました。そして、寛永元年(1624)から三代将軍の徳川家光の命で西側の増築と殿舎の整備がされ、寛永3年(1626)に完成しました。

▶ 完成による天皇の行幸と幾度の災害
寛永3年(1626)には後水尾天皇が行幸しましたが、寛永11年(1634)の徳川家光の入城後から文久3年(1863)の十四代将軍徳川家茂の入城までの間、将軍による入城は行われませんでした。その間には落雷や火災、大地震など幾度の災害の影響で本丸や天守が失われましたが、再建されませんでした。

▶ 大政奉還、明治維新の二条城
二条城は、徳川家茂の入城に伴って殿舎の整備が行われ、慶応3年(1867)では、二の丸御殿大広間で、十五代徳川慶喜によって、大政奉還が発せられました。

明治4年(1871)では、二の丸御殿に京都府庁が配置され、明治17年(1884)には「二条離宮」と新たな名前が付けられました。

▶ 大正から昭和の修理工事
大正4年(1915)では大正天皇即位の大典に備えて、城内に大饗宴場が造られ、昭和2年(1927)では二条城の北側にあった京都刑務所が移転し、翌年に大礼記念大博覧会第2会場になりました。

昭和14年(1939)には二条離宮が京都市へ所有権が移り、昭和15年(1940)に公開されようになりました。同じ年に二の丸御殿が国宝となり、その他22棟の建物が重要文化財に指定されました。

▶ 世界遺産登録と修理工事
平成6年(1994年)には、ユネスコ世界遺産「古都京都の文化財」として登録され、平成23年から25年(1999)に唐門【写真1】と築地の整備が行われました。
また、平成26年から28年では東大手門【写真2】の整備工事が行われました。

【写真1】二条城の唐門

【写真2】二条城の東大手門

二条城さんぽ

二条城は現在修理工事が終了し、多くの場所の見学ができる所となっています。特におすすめしたい場所は、

① 唐門
唐門に施された彫刻、漆塗りの美しさは必見ものです!

② 東大手門
重厚感のある石垣や屋根のしゃちほこが魅力的です!

③ 二の丸庭園
樹齢150年以上?! 鍋島勝茂が献上した蘇鉄(ソテツ)の木があります【写真3】
また、平成9年(1999)では新たに蘇鉄の木が15本植えられました。

【写真3】二の丸庭園のソテツ
以上です!
二条城に行ったときには是非ご覧になってみてください!

● 参照・参考資料
「2003 京都市(制作 京都市歴史資料館) ver.1.0」 <https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/nenpyou/pdffile/toshi21.pdf><2022年2月7日閲覧>
公益財団法人京都市埋蔵文化財研究所2019『史跡旧二条離宮(二条城)・平安宮跡』京都市埋蔵文化財研究所発掘調査報告 2016 -2019
二条城改修工事PRパンフレット

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  この記事を書いた人
まっさん さん
お寺が好きなどこかの大学院生です。 考古学を専攻しており、古代日本史が大好きです! 将来の夢は文化財専門職

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