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私財を投じて芸術を守った、日本のパトロンたち

「パトロン」というと、日本では怪しげな交際のイメージが強い言葉ですが、西洋では意味が異なります。パトロンとは私財を投じて芸術家たちを支援する資産家のことであり、社交界の肩書のひとつでもあります。

パトロンと言えば、ワーグナーを支援したルートヴィヒ2世などが有名ですが、芸術家たちのために支援を惜しまなかったパトロンは日本にもいました。

私財を投じ、パリの芸術家を支援したバロン薩摩

薩摩治郎八(さつま じろうはち、1901~1976年)はパリで「バロン(男爵)」とよばれていましたが、実は貴族ではありません。繊維業で財をなした資産家・薩摩屋の跡取りで若い頃フランスへ渡り、あちらの社交界で名をはせた人物です。

その生涯を一言で表すなら「ド派手」でした。一晩で一千万円もの費用をかけたパーティーをひらいて散財したり、偉人から芸能人まで、当時の有名人との驚きの人脈をもっていたりと、とにかくすごいんです。

コナン・ドイルにアラビアのロレンス、藤原直江(オペラ歌手)や藤田嗣治(画家)など、その交遊録の幅の広さといったら…。

戦後、日本に帰国してからは瀬戸内寂聴さんや美輪明宏さんとも親交があったそうです。

そんな薩摩治郎八ですが、自ら芸術を生み出すことはありませんでした。しかし、「金は出すが口は出さない」よきパトロンだったのです。彼は40億もの私財を投じて、パリの日本人のための宿泊研修施設「日本館」を建設し、その偉業はいまもフランスでたたえられてます。

そんな立派なパトロンだった薩摩治郎八ですが、実は芸術家のパトロンになったのは、人のためではなく、自分のパリ社交界での地位を確立するためでした。

しかし、そんなところも放蕩王・薩摩治郎八らしい行いだと思います。

日本のために、西洋美術を収集した松方幸次郎

薩摩治郎八は、自分の地位を上げるためにパトロンになりましたが、実業家の松方幸次郎(1866~1950年)は日本の若者のために西洋美術を収集したパトロンです。

明治の元勲・松方正義を父に持ち、造船業で巨額の利益を得た松方幸次郎は、日本人が本格的な西洋美術を見る機会がないことを知ると、自らの私財をなげうち、西洋美術のコレクションをはじめます。

「日本の若者が、本物の西洋美術にふれる機会をつくる」という、その私利私欲のない情熱は、やがて印象派の巨匠・モネにも伝わります。

気に入った絵は売らないと決めていたモネでしたが、松方の熱心さにほだされ、最終的には数十点もの秘蔵の絵を売ってくれました。

しかし、第二次世界大戦が勃発。コレクションを日本へ運ぶことができなくなります。戦争中は松方の部下によって守られたコレクションでしたが、戦後はフランスに接収されてしまいます。しかし、日本側の粘り強い交渉によって一部を除き返却されました。

その後、返却された松方コレクションは、現在の国立西洋美術館に収蔵され、今も私たちは彼が集めた西洋美術を見ることができます。

まとめ

2人の対照的な日本人のパトロンについてご紹介しました。一人は私欲のためにすべてを使い果たし、もう一人は日本の未来のために芸術を買い集めました。

どちらにしても、現在の日本の芸術活動に多大な影響を与えたのは間違いありません。現在でも、成功した人々がアートを購入することはありますが、薩摩治郎八や松方幸次郎のように、ここまで豪快なパトロンはいないでしょうね。

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  この記事を書いた人
日月 さん
古代も戦国も幕末も好きですが、興味深いのは明治以降の歴史です。 現代と違った価値観があるところが面白いです。 女性にまつわる歴史についても興味があります。歴史の影に女あり、ですから。

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