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知ってるつもりの江戸町奉行所
- 2022/10/18
当番制だった北と南
時代劇を見ていると、北町奉行所と南町奉行所があって、どちらも1年を通して江戸の町守っているように表現されています。これでは、江戸の町には北町と南町の二つの奉行所があって、地域を分けて管轄しているように思えますね。中には、北町と南町に縄張り争いがあるような設定も…。
多くの皆さんは「えっ違うの」って思うのではないでしょうか。実際は、北町と南町は単なる名称の違いだけだったんです。江戸を北と南の管轄分けにしていた訳でなく、同じ地域を管轄していたんです。そして月番制が採用されていて、一ケ月ずつごとに入れ替わりながら、月番に当たる奉行所が訴訟など受け付けていたのです。
非番の奉行所においては、門を閉めて前月に携わった未処理の事務整理をしていました。この場合の非番は、休みではなく訴訟を受けないと言う意味だったんですね。ですので急ぐ内容の訴訟でなければ、訴え人は南北どちらか好きな方を選べたんです。
重罪の裁きはなかったお白州
テレビや映画などのお白州。桜吹雪を晒した遠山の金さんが、「市中引き廻しの上獄門を申し付ける。これにて一件落着!」なんてお決まりのセリフを言う場面、かっこいいですよね。でも、夢を潰すようなのですが、こんな裁きは実際にはありえませんでした。時代劇では決まり文句になっている「一件落着」ですが、この落着という言葉は、判決の申渡しのこと。実は遠島以上の重たい刑の落着は、罪人が収監されている牢屋敷まで与力が出張り、本人に宣告していたのです。それより軽い刑のみが、町奉行所のお白州で奉行が言い渡してたんですよ。名奉行大岡越前で有名な「三方一両損」は、まさにお白州での落着なんですね。
町奉行は江戸だけ
江戸の町を守る町奉行ですが、担当していたのは庶民の家のみでした。寺社地は江戸の町にあっても寺社奉行が管轄とし、武家地は大目付・目付の担当になっていました。さすがに庶民側の立場に立った町奉行所なので、庶民は奉行所を「御番所」と呼び、町奉行を「御奉行様」と呼んでいました。その反面、寺社奉行や勘定奉行を御奉行様とは呼んでいません。
一般的に町奉行というと、「江戸町奉行」を指しています。京都や大坂の町奉行は「京都町奉行」や「大坂町奉行」と呼ばれていました。お奉行様と呼ばれた「町奉行」は、機関の名称になっていたのと並行して、役職名でもあったんですね。
町奉行所は激務な職場
町奉行所は、武家・寺社地を除く範囲で、庶民の行政・司法・警察の事務を行っていました。更に、民政一般から町人までが行う訴訟や犯罪者の裁決をしています。それに加え、大火災の消防の指揮も仕事で、貧困に困る方のための施療院や療養所の管理をし、公共的な道路・橋梁・上水の整備や管理まで、あまりに広範囲な仕事をしてたのが町奉行所だったのですね。つまり町奉行という職は、東京都知事・東京高等裁判所長官・警視庁警視総監・東京消防署長の全てを兼務する、あまりにハードな職務でした。
これな、かなりきついですよね。管轄する町のために、頑張っておられたのです。
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