大坂夏の陣での真田信繁の最後の戦いぶりと、諸説ある信繁の無念の最期
- 2024/09/11
信繁が臨んだ最後の戦い
慶長19年(1614)、大坂冬の陣が開戦し、豊臣秀頼と徳川家康は雌雄を決することになった。真田信繁は九度山(和歌山県九度山町)に逼塞していたが、秀頼の招きに応じて大坂城に入城した。信繁は大坂城の前に真田丸を築くと、徳川勢を見事に打ち負かした。こうして両者の間で和睦が結ばれたが、のちに豊臣方で不穏な動きがあり、慶長20年(1615)5月に大坂夏の陣がはじまったのである。
5月7日、信繁は家康との最後の決戦に臨むに際して、豊臣方の軍評定に出席した。その席上で、信繁は積極的に作戦を提案した。大坂城は周囲が埋め立てられるなどし、籠城戦ができなかったからである。
信繁が提案した作戦の内容は、以下のとおりであった。
- ①秀頼に出陣を要請すること
- ②東軍が天満・船場を攻めないと予測されるので、船場の明石掃部を瓜生野に移動させること
- ③明石が合図の狼煙を上げたら、信繁が家康の本陣に突撃すること
- ④家康本陣の旗本が出陣したら、その手薄な部分を明石が攻撃すること
しかし、秀頼の出陣は、信繁を信用できないという理由で却下された。徳川方に真田の一族がいたので、信繁の裏切りが懸念されたのだろう。ほかの作戦は最善の策だったが、兵力の乏しい豊臣勢が徳川勢に勝利するのは非常に困難だった。
信繁が率いた軍勢は、真田与左衛門、御宿越前守、江原右近、多田藤弥、大谷大学(大谷吉継の子息)、名島民部、長岡与五郎、槇嶋玄蕃、藤掛土佐、本郷左近、早川主馬助、福富平蔵、渡邊内蔵助、伊木七郎右衛門らである。
信繁の戦いぶり
5月7日の正午頃に戦いがはじまると、信繁の率いる約3千の「赤備え」の軍勢は、家康の本陣へ攻め込んだ。信繁は3度も家康の本陣を攻撃し、勇猛な武将も逃げるありさまだったという。最後まで家康に付いていたのは、金地院崇伝と本多政重のみだったといわれている(諸説あり)。 ところで、『列祖成蹟』によると、信繁の子・大助は、父とともに家康と戦うつもりだった。しかし、信繁は大助に大坂城に戻るように言い、秀頼のそばに仕えるよう命じた。大助は不本意ながらも、渋々ながら父の命に応じたという。
徳川勢と五分に渡り合った信繁
信繁は家康と戦い、五分五分の戦いを繰り広げた。『イエズス会日本年報』などによると、信繁らの軍勢は徳川方を猛攻し、ついには敗走させたという。追い詰められた家康は切腹しようとしたが、やがて形勢が逆転したので中止したといわれている。
元亀3年(1573)の三方ヶ原の戦いにおいて、家康と織田信長の連合軍は武田信玄に大敗北を喫した。恐怖した家康は脱糞したといわれ、その絵も残っている(この逸話は虚説)。家康の本陣の旗は、逃げる徳川方の兵に踏み潰された(『三河物語』)。それ以来の大敗北だったという。
徳川方の史料『駿府記』や細川方の記録も、信繁が戦いを有利に進めたと書いている。二次史料とはいえ、徳川方の史料が正直に自軍の劣勢を記しているので、信繁の軍勢が家康を相手に有利であったことは疑いない。
信繁の最期
信繁の最期については、どのように描かれているのだろうか。『綿考輯録』は、信繁が合戦場で討ち死にしたと記し、これまでにない大手柄であると称えている。首は、松平忠直の鉄砲頭(西尾久作)が獲ったと記している。ところが、首を獲った状況は、信繁が怪我をして休んでいるところだったので、大した手柄にもならなかったと評価している。激しく組み合って首を獲ってこそ、首の価値があったようだ。
『慶長見聞記』によると、越前松平家の鉄砲頭・西尾久作は、信繁が従者らに薬を与えているときに首を獲ったと記している。
いずれにしても、久作は信繁と戦って首を獲ったのではなく、怪我をした信繁が休んでいるとき(あるいは薬を与えているとき)であったというのだ。そのような理由により、久作の評価は著しく下がっている。
信繁が討ち取られた際の異説
しかし、『真武内伝』には、また別のことが書かれている。信繁は配下の者とともに徳川方に攻撃を仕掛けたが、そのときに久作は器用に信繁の馬の尾をつかんで、進軍を阻んだというのだ。2人は刀を抜き、白兵戦となった。しかし、すでに信繁はかなりの負傷をしており、疲労もあって馬から転げ落ちた。その隙を狙って、久作は信繁の首を獲ったというのである。
信繁と久作が一騎打ちをしたという点については、事実か否かはわかっていない。ただ、久作が信繁の首を獲ったのは事実である。
いずれにしても、信繁が率いる真田勢は、島津氏が「真田日本一の兵」と称えており、後世に伝わるほど高い評価を得た(『薩藩旧記雑録』)。ただ、その死をめぐっては、あまりに謎が多いようだ。
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