乗組員の脚気予防が目的だった帝国海軍の兵食カレー
- 2023/02/24
すっかり町おこしのアイテムと化した海軍カレー。本家争いも起きているようですが、海軍さんとカレーライスの出会いはどのようなものだったのでしょうか。
幕府海軍を引き継いだ日本帝国海軍
徳川幕府の鎖国政策により、寛永13年(1636)以降「大船建造禁止令」の発令と共に、日本国内で大型艦船の建造は禁止されます。しかし嘉永6年(1853)のペリー提督の浦賀来航で外国艦船の威容を目の当たりにした幕府は、「こんな政策を続けていては日本は護れない」と大慌て。即座に禁止令を解除します。日本を守る海軍の発足は、紀元前660年ごろの神武天皇の時代とされますが、さすがにあまりに古いので、ペリー来航から2年後の安政2年(1855)、幕府が海軍士官養成のために長崎海軍伝習所を開いたころが近代海軍の夜明けです。大日本帝国海軍としての発足は、大政奉還後、明治新政府がスタートした慶応3年(1867)とする説や、明治5年 (1872)2月に海軍省が兵部省から独立した時とする説があります。
明治元年(1868)4月には、薩摩・長門・筑前・肥前・安芸・土佐・久留米各藩所有の軍艦と共に、幕府が保持していた4隻の軍艦も朝廷に返還されます。この後、大政奉還に反対する旧幕府海軍副総裁の榎本式揚が、朝廷保有の8隻の軍艦を率いて脱走、戊辰戦争で旧幕府軍に加担する一幕もありましたが、戦乱が終わった時点で朝廷保有の軍艦8隻、各藩保有の艦船35隻が帝国海軍の基幹となります。
海軍の兵食事情
さて、本題の海軍食ですが、軍隊では下士官・兵士の食事を「兵食(へいしょく)」と呼びます。艦船の炊事は軍艦内部の烹炊所(ほうすいじょ)、つまり調理場で調理されましたが、木造船の場合、艦内での火力を使っての煮炊きには制限がありました。なるべく火を使う時間を少なくするため、通常主食の白米は朝に1日分を全部焚き上げてしまいます。朝食は暖かい味噌汁がつき、後は漬け物程度です。昼食と夕食はおひつに保管した白米と作り置きの煮物、魚の干物などが副菜として提供されました。状況によっては昼や夜も過熱された食事が提供されます。
この時期、艦内の烹炊所は石炭燃焼式の調理器具を使っており、嵐や高波の時には危険防止のために使用不可となります。また、戦闘時にも被弾した場合の被害拡大防止のために使用不可でした。そんな時のために英国海軍にならって、ビスケットや塩漬け牛肉を用意していました。
幕府海軍の時代には、乗員個人が七輪や火鉢を持ち込んで干物を焼いたり、寒い時には汁物を拵えたりお茶を入れたりしています。海が荒れて加熱調理が無理な時に、気を利かせた日本人乗員が外国人教官のために七輪で湯を沸かして珈琲を提供したとか。
パンに洋食、海軍さんの食事はハイカラだった
「腹が減っては戦ができぬ」この言葉通り、軍隊での食事は大切です。健康面からも士気高揚の観点からも帝国陸海軍は兵食に力を入れ、内容もどんどん改善されます。特に海軍は陸軍よりも内容がハイカラでした。パンや洋食、牛・豚肉を積極的に取り入れ、おやつなどの嗜好品も充実させます。徴兵で集められた農民の子弟中心の地方出身の兵士たちは、実家ではまだまだ麦交じりの米食で副菜も野菜が中心、せいぜい魚の煮つけ程度でした。それが軍隊に来た途端、初めて口にするパンや洋食に目を見張ります。トンカツやコロッケ・ステーキを口にしてその美味さに驚き、家の者にも食べさせてやりたいと涙ぐんだとか。
そんな彼らは毎日6合支給される真っ白な飯を喜んでバクバクと腹一杯食べましたが、そこに落とし穴がありました。
脚気問題
明治の中頃、日本海軍は遠洋航海時の脚気(かっけ)患者の大発生に直面します。脚気は「江戸煩い」とも呼ばれ、白米が充分に食べられるようになった江戸庶民も悩まされていました。脚気とは重度で慢性的なビタミンB1の摂取不足から引き起こされる病気で、最初は体調不良や手足のしびれ程度ですが、病状が進むと心臓機能の低下を招き、最悪死に至る恐ろしい病気です。精製された白米は、米粒の胚芽部分に含まれるビタミンB1をこそげ落としたものです。玄米や麦飯を食べている間は大丈夫でしたが、白米ばかりドカ食いすると発症しがちになります。
特に明治16年(1883)4月に出港した南米からハワイホノルルに向かう海軍艦艇内では、乗員280名の内125名が脚気症状を起こし、人手不足から帆を満帆にしての帆走航行が不可能になりました。急遽機関航行に変更し艦長以下将校団まで機関室で釜焚きを手伝い、なんとかホノルルに辿り着きます。そこで野菜や生鮮食品をたっぷり食べて脚気は完治しましたが、海軍は兵食内容の見直しを迫られます。
そうだ!カレーだ!
明治初期、カレーライスは西洋料理店で味わう高級料理でしたが、明治38年(1905)にハチ食品株式会社の前身である大和屋が日本人の口に合う国産カレー粉を発売し、一般家庭料理として広まって行きます。これに目を付けたのが海軍でした。「肉も野菜もたっぷり摂取できる、それに白米で無く麦飯でも美味いじゃないか。大量調理にも向いている」海軍軍医であった高木兼寛(かねひろ)が海軍医務局副長に就任し、脚気撲滅の切り札として兵食にカレーライスを取り入れます。結果はてきめん、これ以降、脚気の発症率・死亡率は激減しました。
おわりに
日本人の国民食とも言って良いカレーライス。現在ではレトルトも含め、海鮮や本格インディアンなど様々なバリエーションがありますが、私はジャガイモ・人参・玉葱・お肉がごろごろの普通のお母さんカレーが好みです。【主な参考文献】
- 藤田昌雄『写真で見る海軍糧食史』(光人社、2007年)
- 木村茂光ほか『モノのはじまりを知る事典』(吉川弘文館、2019年)
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