永禄10年(1567)、尾張・美濃の二カ国を平定した織田信長は有名な「天下布武」の印判を使用するようになります。この「天下」が示す範囲とは、次のうちどれでしょうか?
( 正解率は 43 % )正解!
ざんねん…
答えは「畿内」
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従来、「天下布武」の印判は信長の武力による天下統一の決意を示すものと理解されてきました。しかし、近年ではこの「天下」が示す範囲は京都とその周辺、つまり畿内に限られたものであったと考えられています。
この時の信長と足利義昭、および周辺の諸大名との関係を鑑みると、この「天下布武」の意味は畿内を平定し、義昭を将軍に就けて幕府を再興するという意思表示程度のものになります。義昭追放後は、信長が自ら畿内を支配しているという宣言の意味で使用されました。
信長が「天下統一」、つまり日本全土の統一を志向するようになるのはもっと後のことでした。
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