比企能員は頼朝の死後、短期間ではありますが、鎌倉殿の13人の1人として権勢を振るいました。さて、なぜ権力を手に入れることができたのでしょうか?
( 正解率は 77 % )正解!
ざんねん…
答えは「2代将軍・源頼家の外戚となったから」
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比企能員(ひき よしかず)は、比企尼(ひきのあま)の猶子です。比企尼は源頼朝の乳母(めのと。養育係のこと)を務めた女性で、頼朝が伊豆に流されると、彼女もその近くに移り住み頼朝を支え続けました。そのため、能員も早くから頼朝を支える一員であったと考えられます。
頼朝に待望の嫡男・頼家が生まれると、能員は上記の功績から乳母夫(めのとぶ/養育を任される後見人)に任じられました。さらに成長した頼家と能員の娘・若狭局との間に一幡が生まれると、次期将軍頼家の外戚として権威を振るうようになります。
その後頼家が病に倒れると、次期将軍に一幡を推す比企氏と、千幡(後の実朝)を推す北条氏の対立が表面化。比企氏の乱のきっかけとなってしまいます。
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