比企能員が鎌倉殿の13人の1人として権力を得た理由とは?

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比企能員は頼朝の死後、短期間ではありますが、鎌倉殿の13人の1人として権勢を振るいました。さて、なぜ権力を手に入れることができたのでしょうか?

( 正解率は 77 % )

正解!

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 ざんねん…

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答えは「2代将軍・源頼家の外戚となったから」

  回答内訳

343人 が回答済です

初代将軍・源頼朝の遺言があったから(30回答)
8%
2代将軍・源頼家の外戚となったから(266回答)
77%
13人のうち、比企氏がもっとも家格が高かったから(34回答)
9%
13人のうち、もっとも人望が厚かったから(13回答)
3%

※未回答での閲覧回数は 38回

 解説

比企能員(ひき よしかず)は、比企尼(ひきのあま)の猶子です。比企尼は源頼朝の乳母(めのと。養育係のこと)を務めた女性で、頼朝が伊豆に流されると、彼女もその近くに移り住み頼朝を支え続けました。そのため、能員も早くから頼朝を支える一員であったと考えられます。

頼朝に待望の嫡男・頼家が生まれると、能員は上記の功績から乳母夫(めのとぶ/養育を任される後見人)に任じられました。さらに成長した頼家と能員の娘・若狭局との間に一幡が生まれると、次期将軍頼家の外戚として権威を振るうようになります。

その後頼家が病に倒れると、次期将軍に一幡を推す比企氏と、千幡(後の実朝)を推す北条氏の対立が表面化。比企氏の乱のきっかけとなってしまいます。


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