畿内において、才覚と智謀でのし上がった松永久秀。彼はどんな通称を名乗っていたのでしょうか?
( 正解率は 67 % )正解!
ざんねん…
答えは「弾正(だんじょう)」
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三好長慶の右筆として仕えていた松永久秀は、才覚を認められて「弾正忠」という官職に就いています。そのため、通称として「松永弾正」とも呼ばれています。その後、三好氏の重臣として政権の中枢を担いました。 ところが三好氏が長慶をはじめ、兄弟たちも亡くなって衰退すると、久秀は三好家当主となった三好義継と行動を共にして三好三人衆らと争います。やがて織田信長が上洛を果たすと、すぐさま従って本領を安堵されています。 しかし二度までも信長に背いたため、天正5年(1577)には織田軍に信貴山城を攻められて自害。その波乱の生涯を終えました。
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