明智光秀が出陣した戦いの中で、主君である信長が駆けつけ、ピンチに陥っていた光秀を救った戦いがあります。それは次のうち、どの戦いでしょうか?
( 正解率は 52 % )正解!
ざんねん…
答えは「1576年 天王寺の戦い」
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信長と本願寺(一向一揆)勢力との10年にも及んだ争い、いわゆる「石山合戦」は1570年からはじまり、1576年の「天王寺の戦い」もその争いの中の一つです。
この戦いは、本願寺と中国の毛利氏が手を結び、本願寺に兵糧などの援助を始めたことがきっかけです。石山本願寺が数万もの兵を集めたことで、危機感を強めた信長は、荒木村重、原田直政(塙直政)、明智光秀らに出陣を命じました。
彼らは三方に分かれて本願寺を包囲。光秀は織田軍の主要拠点「天王寺砦」に入りました。しかし、いざ戦いがはじまると、本願寺勢の数千の鉄砲を前に、織田軍は苦戦を強いられ、原田直政が討死。光秀も天王寺砦を包囲されてピンチに陥ります。
そうした中、劣勢の報告を受けた信長が、急遽自ら出陣。本願寺勢1万5000に対して、信長は3000の兵を率いて戦いに挑んだといいます。
依然として兵力は劣勢でしたが、天王寺砦の兵と合流した信長軍は積極的に攻勢に出て、最終的に勝利を収めています。
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