越前の戦国大名、朝倉義景の最期とは?

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越前の戦国大名だった朝倉義景ですが、1573年に亡くなり、朝倉氏最後の当主となってしまいました。さて、義景の最期は次のうち、どれでしょうか?

( 正解率は 70 % )

正解!

クイズ正解時のイメージ yes

 ざんねん…

クイズ間違い時のイメージ yes

答えは「味方の裏切りによって自害」

  回答内訳

420人 が回答済です

結核で病死(16回答)
3%
味方の裏切りによって自害(294回答)
70%
織田軍との合戦で討ち死(97回答)
23%
琵琶湖に落ちて溺死(13回答)
3%

※未回答での閲覧回数は 26回

 解説

1573年、織田家と浅井・朝倉両家の戦いは終焉を迎えます。

朝倉義景は織田軍に攻め込まれていた盟友の浅井長政を救援するべく、出陣しますが、織田軍の奇襲によって刀根坂で大敗を喫してしまいます。

その後、越前へ逃れることに成功したものの、大野郡へ落ち延びる途中で重臣の朝倉景鏡の裏切りに遭い、六坊賢松寺において自害を余儀なくされました。

福井県大野市には桜の名所として有名な義景公園があり、義景の墓所もそこにあります。


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